物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。 ― マルクス「経済学批判」から
私たちは「経済」というものが「ある」と思っている。
お金が動き、物が売買され、人が働き、景気が上がったり下がったりする。
経済学やニュースや統計は、それを説明すると称したりする。
だが、ときどき奇妙な感じがする。
たとえば、紙や数字にすぎないはずの「お金」が足りないと言われるだけで、
学校が閉じ、病院が減り、仕事が失われる。
まるで社会が、本当に「お金」という物質で動いているかのようだ。
しかし私たちは、そもそも「お金」とは何だと思っているのだろう。
少し遠回りをしてみよう。
かつて人々は、「熱」をカロリックという流体だと考え、
「燃える」という現象を、フロギストンという物質が抜けることだと信じていた。
それは一時代の科学の主流であり、
科学者によって書かれ、説明され、