<aside> 🌐

親ページ:Sequential Provenance Comparison(SPC)|公開ページ

**公開日:**2026年9月26日

</aside>

<aside> 🏛️

この論文は何を調べるのか

一般的には、利潤は「売上収益−生産費用」で計算します。売上収益が100、生産費用が80なら、利潤は20です。

$$ 利潤20=売上収益100-生産費用80 $$

この計算は、利潤の金額を求めるには十分です。しかし、形成された利潤20が銀行のどの部門に記録され、その後も貸付に使えるのかまでは分かりません。

本稿はまず、通常の式が説明の外に置いた利潤形成の操作を示します。そのうえで、形成された利潤20が第II部門にある状態と、第III部門へ移された状態を比べます。二つの状態は総額が同じですが、利潤20の扱いが違います。

</aside>

なぜ通常の利潤式だけでは足りないのか

$$ 利潤20=売上収益100-生産費用80 $$

この式では、売上収益100が最初から与えられています。そこから生産費用80を引き、残った20を利潤と呼びます。利潤額を計算する式としては正しいのですが、20がどの支払いによって企業の利潤になったのかは説明していません。

言い換えると、利潤20は計算の結果として現れるだけで、その形成過程は式の外に置かれています。この意味で、通常の利潤表記は利潤を「外から持ってくる」考え方を表しています。売上収益100の成立を先に仮定し、その内訳として利潤20を取り出すからです。

Schmitt派は、同じ関係を家計の支払いからたどります。

$$ 最終支出100=生産費用の回収80+利潤形成20 $$

家計が所得100を支出すると、企業は生産費用80を回収し、同じ支払いの中で利潤20を形成します。利潤20は、あらかじめ企業の外に存在していた資金でも、生産費用80に後から付け加えられた金額でもありません。家計所得100が最終的に支出される操作の中で、企業の利潤、すなわち銀行に対する純債権として成立します。

したがって、二つの式の違いは、引き算と足し算の違いではありません。通常式は利潤額を測ります。Schmitt派の式は、利潤がどの支払いから、どのように形成されるかを示します。本稿が問題にするのは、通常式の計算の正しさではなく、通常式だけでは利潤形成の操作が帳簿上に残らないことです。

GDPに代表される集計的な把握

この種の把握を代表するのが、GDPを中心とする国民経済計算です。国民経済計算は、生産、所得、支出を経済全体の総額として捉えるのに適しています。企業利潤に当たる部分も、付加価値から賃金などを差し引いた残余として把握できます。

しかし、GDPの目的は、ある利潤がどの支払操作によって形成され、その後どの銀行部門へ移されたかを追跡することではありません。同じ利潤20であれば、その20が第II部門に残っている場合も、第III部門への振替を終えた場合も、集計上は同じ20として現れます。

本稿の批判は、GDPが別の目的を持つという指摘だけにとどまりません。GDP型の集計表記をマクロ経済の状態記述として用いることは、有害になりえます。

理由は、GDP型の表記が、まだ支出されていない所得・貯蓄と、すでに支出された所得から形成された利潤とを、金額の来歴によって区別しないからです。両者を同じ金融資源として扱えば、すでに一度使われた所得に由来する利潤が、通常の貯蓄として再び貸し出される可能性があります。それにもかかわらず、総額は正しく均衡して見えるため、集計表記から問題を発見できません。

したがって、有害性は計算間違いにあるのではありません。異なる使用条件を持つ二つの金額を同じものとして表示し、規制すべき状態を正常な状態と見分けられなくすることにあります。GDP型の把握は、利潤を形成した支払操作を記録の外へ置き、利潤を外から与えられた残余として扱います。その結果、形成済み利潤を金融市場から除く必要性も見えなくなります。

本稿が直接示すのは、この規制上の盲点です。そこから購買力の二重化、空の発行、インフレーション、失業、資本の奇形へ至る因果関係は、後続研究で操作を追加して検証します。

GDPが注意を集中させること自体の問題

GDPは単なる数字ではありません。経済について何を見るべきかを決める、強力な観察枠組みでもあります。GDPの増減に注意を集中すると、生産や所得の総額は詳しく観察されます。その一方で、同じ金額がどこから生まれ、すでに支出されたのか、現在誰が使えるのか、どの実物に対応しているのかという問いは、周辺へ押しやられます。

この見落としは小さくありません。総額が増え、帳簿が均衡していても、次の問題は残りえます。